夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる。
挑戦する以上、この道は避けて通れない。
でも、
- あとから振り返った時に「挑戦してよかった」と思うのは、どんな時だ?
- 死ぬときに「やっておけばよかった」と後悔しない選択は、なんだ?
いつだって、答えは「あなたの心の中」にある。
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夢のある世界で、生きろ。
こんな世の中。「夢を持つ」ということが、どれだけ大切か。
「サンタさんがいる」と信じていた、あの頃のクリスマス。
あなたはその時の、ワクワクと高揚感。覚えてる?
「志」くらい、高く持て
でも最近、夢を持って楽しく生きるなんて、小学生や子供だけだと考えている人が多い気がする。壮大な夢を語れば、周りの人がみんな口々に笑い、馬鹿にし、そんなの無理だ!と。現実を見ろ。と説教を始める始末。。。
確かに壮大すぎる夢は、時として笑いのネタにされてしまう。でも人生、夢を持って生きられないなんておかしい。そんな人生つまらないと思う。夢のない人生って楽しいですか?
でも、大丈夫。
キミは、キミの最初の一歩を決して諦めることはない。それを僕自身が証明して見せる。みんなが、夢を持って生きられるようにする。でっかい夢を目を輝かせながら、話せる世界をつくる。
叩かれて、笑われるような「夢」に狂え
ここでちょっと僕の過去の話をしたい。
僕は仲間に夢を語って田舎を飛び出した。夢をつかむために。でも実際のところは、何者にもなれないまま、終わってしまうかもしれない。そんな不安に毎日襲われて。あと少しでもこの場所にいると、まもなく未来が壊れ始めるような気がして。
とにかく僕は、がむしゃらだった。本当に生き急いでいた。
背水の陣で、覚悟を決める
以前の僕はビックマウスだった。周囲に「バカでかい夢」を公言していた。当然何の力もなく、ただの凡人である僕のビックマウス発言はネタになった。周囲はバカにしたり笑ったりしていた。当然だ。口だけのやつは、そうやって淘汰されていく。
しかし、僕はあえて、そうやって周囲に公言して自分を「背水の陣」に自ら追い込んだ。絶対にやるしかない状況を自ら作って、結果を出さざるを得ない状況に追い込んだ。それは当然、ものすごくプレッシャーとストレス、困難もつきまとう。
確かに、つらかったこともたくさんある。でも、大切なこともたくさん学んだ。
夢を叶えて、気づいたこと。
その努力が報われて、それなりに夢は叶えてきた。
ここで最近、僕は気づいた。
僕は「夢を達成するよりも、夢を達成するまでのプロセスのほうが好きだ」ということを。つまり、僕は夢を達成するまでの過程、コツコツ努力することが好きだということに。
確かに、夢をかなえた瞬間も、嬉しい。今までの辛かったことや大変なことが、全て報われたという感覚、証明。でもいつも、思っていたほど嬉しさは感じなかった。たぶん、夢を達成することは、必然になるまで、圧倒的努力をしてきたからだと思う。だから、達成しても「よかった」と感じる程度が多かった。
現実は、想像に勝てない。
以下は僕の持論ですが、多くの人にも当てはまると感じています。
- 夢があるから、人は幸せなんだと思う。
- 希望があるから、困難にも立ち向かっていけるのだと思う。
人生は、楽しいことばかりじゃない。むしろ、大変なことのほうが多いかもしれない。じゃあ、なんで、生きてる?安っぽいセリフだけど、僕はこう信じてる。「夢や希望が、人を輝かせる」と。
アメリカのドラマ「ウォーキング・デッド」を見てほしい。あんなにも絶望的な世界で、どうして人は生きていけるのか。生きている意味なんて見失いそうなほどの困難にも懸命に抗い、生きる。それは、なぜか。希望があるからだ。そう、希望なくして人は生きていけないんだと、痛感させられた。とても考えさせられるドラマだから、ぜひ見て欲しい。
夢を追う時、僕はよく以下のように進めてます。
- 具体的に夢を想像する
- そこから逆算して、小さな一歩に分解する
- 軌道修正しながら、夢に向かって歩き続ける
こうしていけば、絶対にバカでかい夢でさえ、実現可能だと信じています。ロジックさえ、しっかりしていればたいていのことは、叶えられる。人が想像できることは、現実にできるのです。
そして日々の辛いことや大変なことも、そうやって夢を妄想してワクワクすることによって乗り越えてきた。実際に結果を達成してきた。
そして目標達成するころには、その目標なんて、もはやどうでもよくなってることばっかりだった。目標を達成したってそれほどうれしくないことが多々あった。その度に僕は「なんでなんだろう」って考えていた。
結果よりも、プロセス
僕は「試行錯誤しながらあれこれ考えて、一歩一歩進んでいく、そのプロセスそのものが好き」なんだと気づいた。つまり、目標達成よりも、その過程を楽しんでいくタイプだということ。
最近は以前の僕のように、ビックマウスをしても以前のようにバカにされたり、笑われたりすることが少なくなってしまった。それどころか、「すごい」やむしろ、「応援する!」のような尊敬の眼差しを浴びるようになってしまった。
確かに応援されるのは嬉しい。もっと頑張ろうって、勇気をもらえる。でも僕は、尊敬されたいとか、すごいって思われたいわけじゃない。周囲からすごい人と尊敬される人になりたいわけじゃない。
そして自分では大丈夫と思っているが、周りに「すごい」と尊敬されることによって、それ自体に満足して、結局、行動が以前よりも鈍ってしまうことが恐ろしい。正直、人に尊敬されても僕はそれで満足して歩みを止める事はないと思う。
しかし、周囲にバカにされたり、笑われたりしていた方が、僕は自ら背水の陣へと追い込み、より高い結果や成果を出せると思っている。そして僕はそういうタイプだ。
そう何が言いたいかと言うと、最近ではそのような状況が作り出せなくなっている。結局、夢を公言することによって、むしろやる気やモチベーションが下がる可能性があるとしたら。
その可能性が少しでもあるなら、周りのはなるべく言わずに、自分だけの高い目標を掲げていこう。自分だけにプレッシャーをかけ続け、それをモチベーションにして行動する。不言実行タイプにすることにした。
夢、見てる?
できないような経験をたくさんさせてもらった。
まわりが羨むような状況だったと思う。
でも、そこは、あの頃の俺から見ていた未来じゃなかった。
その山を登れば景色が広がるものだと信じて、誰よりも努力をして登ってみた。
だけど、そこから見えた景色は無だった。
完全燃焼したからこそ、痛感する境地
完全燃焼したぼくに待っていたもの。それは、目先の快楽や欲に、楽しさを強引に結びつけた、偽りの幸せ。そう、僕が心から望んだ未来じゃなかった。それはなぜか真剣に考えた。来る日も来る日も、ワクワクを探し、考え続ける日々。
そうして気づいた。魂を燃やすほどの「夢」を持っていないということに。
『才能』なんて努力と環境でいくらでも作り出せる。僕たちに必要なのは、踏み出しても殺されない『情報』という武器だ
僕は最近不言実行タイプに変えた
最近の大人日は夢を見てる時対してもっと現実を見ろと言ってくる大人だけじゃない20歳送った友達に相談すれば大体こんな答えが返ってくる夢を見る事は年齢が経ったら見ることができないのか夢を見るのが子供の時になのか子供の時専用のものそれが今なのか僕の考えが間違っているんだろうかいやそんなことわない大人になったって言う夢を持って夢を見てそれに向かって美味しくていいのだそんな世界を作りたい
人って、いつ死ぬか分からないじゃないですか。死ぬときに、やればよかったって後悔したくない。